スリーストライクルール。

二度あることは三度ある。or 三度目の正直。 3年、3業種、3解雇。 シンガポールへ引っ越した経緯は後ほどですが、シンガポールを離れた経緯はタイトル通りです。 シンガポール、三度目の転職の時、これをシンガポール最後のお仕事にしようと決めてました。つまり、これがダメだったらニューヨークへ帰ろうと。が、実際にそうなると心が揺らぐ。そこまで愛着を育むことはできなかった国ですが。慣れ親しんだカフェ、レストラン、ネイルサロン、マツエクサロン、スーパーマーケット、そして友達と同僚はね。 Walk the Talkの私は行動力があり、行動も早いです。今回の決断を実行に移すまでに、通常以上に時間が経ってしまいました。その理由は、盲腸を患ってしまったり、3週間の地球半休のフレグランスの旅に出ていたり、荷物の整理、それに伴う気持ちの整理、インフルエンザ(?)で数週間行動力が落ちたり、と次から次へとイベントごとに襲われました、でも、3年、3業種、3解雇。「What’s wrong with me?」。自身喪失で身動きできなくなってしまった。さらに、自分のしたいことがわからないという生まれて初めての感情。この感情に面と向かって、乗り越えるまでは動けない。 ですが、やっぱり自分の決断を通すことに。ということで、シンガポールを一旦離れることにました。  

2012年4 月23日。

四十路まであと一年切った。30代中旬から体調がすぐれなく、起き上がれないほどの偏頭痛、耳鳴り、ホットフラッシュ、物忘れ(後で知ったのですが、いわゆるマミーズブレインに似た症状)。元々、物覚えが良く、記憶力にも地震があったので、原因が知りたくてMRIまでしましたよ。 毎年、誕生日月に健康診断や産婦人科のチェックを欠かさなかった私は、この年、婦人科のドクターにここ数年の症状および治療について相談しました。 婦人科のドクターとreproduction specialistとの幾つかの検査の結果、自分の卵子で妊娠する可能性はかなり低く、更年期障害の前兆(perimenopause)だと。 結婚していた時、流産した経験もあったし、パリに住んでいた時から子供の名前まで決めていたし、ショック(涙)まだ30代だよ。 そこは合理的なアメリカ、他の方法で子供を産み育てる選択肢はいっぱいあるとのこと。当時、特別なお付き合いをしていた殿方はいなかったので、精子バンクのリストを渡され、今年が最後の一年と宣言された。 とりあえず、偏頭痛やその他の体調不良の原因がわかっただけでも良かったと思いながら、母の時はどうだったんだろうと思って、メールで「聞きたいことがあるのだけどいつ話せる?」って連絡してから数日。電話がかかってきて、「ママね、明後日、癌の手術するの」って。明後日って、私、経済的に飛んで帰れない。 大丈夫だからって。 手術は少し前に決まっていて、早めに知らせていてくれたら。でも、ママは言えなかったんだよね。 その日から、私は一旦、人生の方向性をニューヨークでのフレグランス業界への転職という目標から日本への転職に一気に変更。 最終的にはシンガポールへの転職になってしまったけど、これもこの日が全てを変えたんだなぁ。        

2017年7月31日。

今回の移動距離:3,290マイル =  5,290キロ 本日、3年近く過ごしたシンガポールを後にしました。 2012年4月23日、人生の方向性を180度変える事態が起こり、まさかシンガポールで暮らすことになるとは。 この3年でシンガポールも変わってけど、私も変わった。F-word使わなくなった。中指立てなくなった。(笑) 回想録?回顧録?健忘録?備忘録?っていうの、人生の分岐点とか次のチャプターのような気がするので、これからこのブログで書いていきます。それから未来のこともね。人生半分すぎちゃっているので、振り返ることが最近多くて。 ただいまの人生移動距離:71,2571マイル = 1,114,753 キロ(フライト距離のみ) 皆さんの人生の移動距離は何マイル = 何キロですか?