シンガポール、最後のひと月半。

3月の最後の日に急性盲腸炎で救急病院にかけこみ、そのまま入院することになり、もう体調を壊すことはないだろうと思っていたが。。。0-o1Q5eCAbnhX8NZpK

6月の中旬から、アレッ?4月後半から3週間ほど出かけていた地球半周の旅の疲れなのか。インフルエンザと言う人達もいたが、変なウイルスが蔓延していたようで、微熱、頭痛、喉の痛み、咳、鼻水に悩まされること数日。

微熱だからとは思ったものの、すでに体調を崩した友人が数名いたので、訪ねてみたところ同じような症状だったとのことで、すぐにクリニックへ行くようにすすめられました。翌日、抗生剤の他、各症状への薬が一週間分処方されました。薬漬けのせいでダルいのも手伝って、精神的にも弱りました。

休養すべきなのでしょうが、シンガポールを離れる前はやることがいっぱい。先ずは荷物の整理。3年前に引っ越してきた時、ニューヨークから20箱+持ってきたのですが、片付けようと思いつつ3年間開けてない箱たちが待っている。この片付けで、ますます気落ちするが、それは別のコンテンツとしてあげます。

3月の解雇による退職後の身の振り方について、決断力と行動力には自信がある私はシンガポールに残れる可能性を探りつつ、ニューヨークに拠点を戻す準備を始めました。毎春、自分のフレグランスビジネスの活動の一環としてニューヨークへ戻っていますが、今回は拠点を戻すため、アパートやお仕事探しでした。が、一度、ニューヨークに戻ったら、実家に訪れる以外アジアに行くことはないのではないかと後ろ髪も引かれる感情に悩まされます。シンガポールへの思い入れはあまりないのですが、アジアの拠点としては最高の立地です。

「ニューヨークは待てる」と感じた5月後半、自分のビジネスだけでシンガポールでやっていける方法はないかと考え出します。と、同時に動き始めます。そんな時、この病名不明な体調不良に襲われます。

退職後には感じなかった自信喪失が、体調不良と伴に後を追ってやってきました。この短い間で、自分の気持ちがコロコロ変わり、自分に迷いがあり、優柔不断のような気がして自己嫌悪。さらに、恐らく生まれて初めて自分のしたいことがわからないという状況に陥り、身動きできなくなってしまった。自分のしたいことがわからないけど、なんとかしなくちゃならなくて。

よくうつ病の患者さんが対人恐怖症になる傾向があると聞きますが、ソーシャルライフは必要最小限。ソーシャルメディアもカット。今ならなんとなく、わかるなぁ。

そんな中、ニューヨークのBestieの一言で、なぜ私がシンガポールへ引っ越したか再確認。それがその時、私にできるベストだったことを。

そう、今回の私の選択肢の中には日本はなかったのです。というか、日本を選択肢に入れることに躊躇があって。母が病気の時、移れなかった日本に、なぜ今更?

これが今回、直面すべきお題で。乗り越えなければならない感情。つまり、I hadn’t moved on yet.

もっと柔軟に、私には日本で暮らす権利もあるのだから。幸運にも選択肢がいっぱいあって、日本もその中に入れてもいいんだと。

体調と感情が回復するまで約一ヶ月。お腹に三つの穴まで開けた急性盲腸炎からの回復は2週間だったのにね。回復後からシンガポール出発まであと2週間。加速します。

今まで味わったことのない、なが〜い、なが〜い、辛い一ヶ月でした。

 

 

 

 

 

 

 

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