日本化したハロウィーン。

すっかり日本で市民権を獲得したハロウィン。 3年前のハロウィンは、たまたま母のお見舞いで日本にいたので、病室で母とテレビで見て、渋谷の交差点を埋め尽くした仮装した人々に圧倒されました。よって、日本のハロウィンは今回が初めて。15年前、こちらで暮らしていた時はほとんど見向きもされず、小さな変装をしてオフィスに向かった私は電車のなかで白い目で見られていたのを記憶しています。 でも、多分、ハロウィンの本当の由来知らないよね。ハロウィンは仮装する日と思ってないですか?(笑)だから、誰かが日本にはコスプレカルチャーがあるから、受け入れられたって言うんだよね。なぜ、こんなに変身願望があるのかしら。日頃からストレス溜まってるのね的な。これは別コンテンツでいつか私論をまとめてみようと思います。 ハロウィンとは万聖節の前夜祭です。万聖節は毎年11月1日にあらゆる聖人を記念する祝日で、その前日に秋の収穫を祈って霊を招かないようにする儀式でした。 私も女子リトル と数週間前からコスチュームのミーティングを何度か開き、真剣に探してくれていて楽しかった。今年おハロウィンは平日なので、週末に様々なところでイベントがあったようです。私もリトルたちとディズニーランドの街、舞浜のモールへ出向いたのですが、台風22号による生憎の天候で、インスタ映えするところは全てクローズ。男子リトルは乗る気ではなく、当日もコスチュームは要らんといっていたが、気に入ったコスチュームを現地で見つけたらしく、ノリノリでした。二人とも普段からその猫みみ、猫しっぽつけていても気にならないかなぁって感じ。可愛かったぁ。💕 ハロウィンの当日の夜は渋谷に仮装した人たちを見に行きたかったけど、寒いし、平日だし。来年の楽しみに。(日本にいたらね) 仮装はさておき、メディアでの扱いはアメリカよりも激しいかなと思いました。比較的ワイドショーっぽい番組が多いからでしょうが、どの番組でもハロウィン特集が。マーサ・スチュアート的コンテンツがいたるところで。でもね、ハロウィンの由来については触れている番組は少なかったようです。どのキャラクターが仮装で人気かとかハロウィンディナー(?)など。季節、イベントごとを重んじる傾向にある日本の独自のハロウィンコンテンツは、もはやお洒落過ぎですよ。 番組の一つで、ハロウィン比較文化論のようなコンテンツにて、保育園・幼稚園児か低学年生がアメリカのハロウィンを体験するというコーナーがありました。ご主人がアメリカ人のお宅にお邪魔して本場のハロウィンを過ごします。一通り経験したお子様の感想は「日本のハロウィンと違った」でした。うん、ハロウィンはもともと日本にないのよ。 おそらく、生まれた時から存在していたハロウィンを日本のカルチャーと思っても仕方がないよね。私も女子リトルが生まれた時、かぼちゃの着ぐるみ送ったし。 ショーウィンドーもお菓子のパッケージも本場以上に洗練された日本化したハロウィン「Japanized Halloween」は今後どのように発展していくのだろうか。 クリスマスが大昔に市民権を得たように、ハロウィンも市民権を得て日本のカルチャーの一部となったと言っていいのではないかな。 ちなみに、本日ランチで行った豚肉専門店では、帰り際にハロウィンだからと不二家のペコちゃん飴いただきました。週末行ったら、七五三ってわたされるのかな?Trick or Treat! 🎃👻

新居。

本日、東京に拠点構えました。 ロケーションにはちょっとした思入れがありました。生誕地の成城、幼少時の夏休み、冬休み、春休みを過ごした吉祥寺界隈も検討したものの、2度目に日本を離れてからちょっとご縁のあった土地がしっくりきました。 出張で日本に頻繁にくる時期があり、滞在先の銀座をフラフラしていたら、斬新なデザインのビル、おしゃれなショーウインド、ブランドとトレンドで満たされた街中で、昔ながらの古民家風のお豆腐屋、バウハウスっちくなカフェやレトロな洋食屋さん、の共存。いつかこんな雰囲気な街で暮らしたいなと思ったことがあります。 それ以前にもこの界隈にはご縁がある。5年前、母の大腸癌の脳転移がわかったとき、当時最新の治療であるガンマナイフを受けられる病院が築地にあった。彼女が最初のガンマ治療を受けた時、そこに近い地域でアパートを探していたこともあり。 もっと前になると、私の離婚が避けられない状況になったとき、母の提案でお仕事さぼって一日中、銀ぶらして行き着いた先が築地本願寺。境内の中はホッとした。 銀座、築地はチトお高くて住めないけれど、思い出のある土地に歩いていける距離にいい物件が見つかったのはとてもラッキーです。 今回は新しい住まいの形として近年大きく注目されている「シェアハウス」。それも女子限定の物件です。40過ぎて女子寮デビューです。 日本では1990代「外人ハウス」と呼ばれたいた物件が前身です。当時9割の入居者が外国人だったのが、バックパッカー日本人も生活を始め、半分の居住者が日本人となり、「ゲストハウス」と呼ばれていました。2000年に入ってから、居住スタイルの一つとして「シェアハウス」の認知度が高まったそうです。 長いこと家族、ルームメイト、一人暮らし(+猫)をしてきたので、シンガポールでは家具付き一人暮らしを検討していましたが、お家賃がニューヨークの2−3倍。お家賃のスーパー高いシンガポールでも、独身駐在員向けにシェアハウスのビジネスをしている業者さんがあり、アパートをルームメイトと一緒に借りるのとは違い、責任は自分の部屋だけ。よって、ルームメイトが退去する際、次の入居者を自分で探すような手間もなく余計な心労が減ります。家具付きなので、カバンひとつでお引っ越せるので、その日から不自由なく暮らすことが可能。 一方、不都合もあります。同居人とのライフスタイル・ライフステージ、価値観が大幅に異なれば、問題発生。深夜の騒音・ハウスパーティ。何度、もめたことか。 気が合えば、助け合えのできるちょっとしたコミュニティです。この住まいの形は盲腸で緊急入院した時、すごーくありがたかったです。ハウスメイトが必要な荷物を病院まで持ってきてくれたり、退院後も買い物に行ってくれたり。 日本では2011年の東日本大震災以降の「人とのつながり」を求める動き、ソーシャルシフトの活発化でこのような暮らし方が見直されてきたそうです。 今回の滞在は期限を決めていないので、2年間の契約や多額な敷金・礼金・仲介手数料って意味わかんないです。なので、このシェアハウスの存在、嬉しいです。 日本はさすがに体系的で、コンセプトがしっかりしたシェアハウスがたくさんあります。シンガポールで見てきたシェアハウスのビジネスよりも多様化している感じを受けました。家具なんかにもこだわりがある物件もあって、ワクワクしました。今回、選択肢が多かったのですが、最初に見た物件がしっくりきたのもご縁かな。 年齢制限がある物件もあるので、多分、シェアハウスで暮らせるのは今回が最後のチャンスかな。次は目指せ古民家デビュー!    

中秋の名月。

今日はお月見でした。 昨日からの雨で、危ぶまれていたお月見ですが、運良く夕方から晴れ、お月様を見ることができました。日本ではウサギが餅つきをしていると言われているが、私には男性の笑顔(Moon in the Man)しか見えない。Acculturation(文化変容)の結果だろうか。皆さんは何がみえましたか? 中秋の名月は中国に由来しているので、シンガポールでも盛大に祝います。が、どちらかと言うとお月見団子ならず、ムーンケーキの印象が強く、いわゆる季節感とは程遠い。各有名ホテルやお菓子屋さんが競って、伝統を守ったり、イノベーティブなケーキを開発したり、それはそれで面白いのだが。 日本の中秋の名月は季節感の代名詞の一つ。日本に到着した2ヶ月前はシンガポールより暑〜いと文句を言っていたのに、ここ数日でめっきり寒く(巷では涼しっていうのかな)なってきました。さぁ、秋冬物、本当に買わないと。 3年間、季節感がないと嘆いていたのに、いざ季節の変わり目となると年中暖かいシンガポールが少し懐かしい。我儘な私である。 因みに私が好きな韓流ドラマはMoon Lovers💕  

人生の断捨離。

断捨離。 3年前、ニューヨークからシンガポールへ移ったとき、5箱だろうが50箱だろうが引っ越し代は変わらないとのことで、大きな家具以外は基本的に持ってきて、20+箱でした。会社持ちだったし。で、引っ越し先で片付けようと思って3年経ちました。 そう今回は会社持ちではない。払えない。っということで、今までのつけがまわってきた。自分の所有物を断捨離するだけならね。難関は母との思い出の品々の断捨離。 トラベルバディだった母とは世界各地で待ち合わせをしたり、それぞれの暮らしている国に会いに行った時に近郊の街や国へ旅行したり、各地でそれなりに自分たち用のお土産を買っていたんだなぁ。私が買うと、母も同じ物を買ったり、色違いにしてみたり。その一部は妹の手に渡るのだが。母がパナマやパラグアイでの生活で使用していて便利だった物を買ってもたせてくれたり。その数。。。数え切れない。 基本的に物を捨てることに躊躇しない方です。一つひとつ手に取りながら、一緒に旅した時を思い出して、涙したり、感慨にふけったり。思い出は心の中にあって、思い出の品を持っていても母は戻って来るわけではないし。 で、どうやって断捨離したかというと、シンガポールのリサイクルアプリ「Carousell」(日本のメルカリのようなアプリと理解しています。って、メルカリ使ったことないけど。)に出店しました。引越しの時間が迫っていたこともあり、捨てちゃうという選択肢もあったのですが、もし誰かが大切に使ってくれるのならと思い、ひと月ほど頑張ってみました。 そんななか、パナマで購入した、引き出しも壊れかけている手作りの飾り引き出し、購入者からお金を受け取った直後、Sh-t!(シマッタ)と後悔したり、なぁんてことのありましたが、最終的には、まだ使用するであろうキッチン用品、洋服、手紙や写真、多分200個は超えるであろう香水コレクション、香り関係の資料などを残し、5−6箱にまで減りました。 母が亡くなってから、彼女のプレゼンスを感じることのないシンガポールで暮らしていたため、彼女の死に直面できていなかった、乗り越えていなかったことがしみじみ身に染みた、かなりエモーショナルな体験となりました。 シンガポールに引っ越して、日本に近くなった4ヶ月後に彼女が他界したとき、アジアにきたことを実はすごく後悔。弱音を吐ける心から信頼している友人も家族もいないシンガポールで、こんな悲しい出来事に一人で立ち向かわなければならないと。知らないうちに悲しみを抑圧していたのかも。 毎年一回帰るニューヨーク、特に34丁目のMacy’sの東側の交差点、ここを通る度に母を思い出し、涙。最後に母と渡った光景がクッキリと脳裏に浮かびます。こんな感情、荷物整理するまでどっぷりと浸らなかった。 今回の断捨離は気持ちの整理。人生の断捨離。悲しみに暮れる時間、必要だったんだなぁ。 おかげさまで身も心も軽になりました。これで前進できます。  

秋冬スタイル。

もうそろそろビーサン履けない季節になってきた!? 秋分を迎えた銀座では、まだ日中の気温は高い(摂氏28度)くらいなのですが、装いは秋らしく長袖や薄手のジャケットを着こなしている方々でいっぱい。今年流行りのライダージャケット着ている人もチラリのところ、無意識にビーサン履いている仲間探してたりして。。。いなかったけど(笑) 比較的プラクティカルな私は、まだ暑いので夏のワンピース。が、お仕事ミーティングではこれにショールや7分丈のジャケットを羽織ります。歩く時はビーサンですが、先方のビルに一番近いビルや公園でつま先の隠れるショートブーツに。先月まではオープントーの7cmで変身でした。 年末年始は実家のある日本には来ていたし、ニューヨークにも春には戻っていたけれど、新たに秋冬物を購入するなんて、なんと無意味な!だったので、ユニクロのヒートテックに頼り、夏物の下に着用なんて技も学びました。 が、夏服しか着ない国に3年も暮らしていたら、夏物以外の洋服の買い物の仕方がわからない。ちなみに私のG2B(Go-to-Boutique)はCOS、ZARA、Uniqloです。他にもデパートや駅直結ショッピング街を覗いてみました。日本はお洒落チョイスがいっぱいで迷ってしまいます。ワクワク感と同時に秋冬物は生地も厚く、多めに使用するし(収納スペース取るし)、夏物よりお高めに設定。容易に購入できないし、頭が痛い。とりあえず、今回はウィンドーショッピング♡ ただ、秋物ジャケットをシンガポールのトランクルームに置いてきてしまったのでこちらゆっくりはしていられない。 あと問題のビーサン。足袋ソックス履いてでもいいのですがぁ。今は足袋ストッキングもあるとかで。でも、周りの方々が寒気をかんじるのかな?愛用のビーサンはHavaianasの3.5cmほどヒールのある黒いコ。実はスニーカーで歩くと足が痛くなる。少なくとも3.5cmほどのelevationのあるウェッジだと転ぶという、わがまま。脱ぎ履きが楽な、ビーサンの先端にドームをつけたようなコいないかなぁ。 ネイルだけはブロンズの秋仕様だけどね。小さな努力。  

シンガポール、最後のひと月半。

3月の最後の日に急性盲腸炎で救急病院にかけこみ、そのまま入院することになり、もう体調を壊すことはないだろうと思っていたが。。。 6月の中旬から、アレッ?4月後半から3週間ほど出かけていた地球半周の旅の疲れなのか。インフルエンザと言う人達もいたが、変なウイルスが蔓延していたようで、微熱、頭痛、喉の痛み、咳、鼻水に悩まされること数日。 微熱だからとは思ったものの、すでに体調を崩した友人が数名いたので、訪ねてみたところ同じような症状だったとのことで、すぐにクリニックへ行くようにすすめられました。翌日、抗生剤の他、各症状への薬が一週間分処方されました。薬漬けのせいでダルいのも手伝って、精神的にも弱りました。 休養すべきなのでしょうが、シンガポールを離れる前はやることがいっぱい。先ずは荷物の整理。3年前に引っ越してきた時、ニューヨークから20箱+持ってきたのですが、片付けようと思いつつ3年間開けてない箱たちが待っている。この片付けで、ますます気落ちするが、それは別のコンテンツとしてあげます。 3月の解雇による退職後の身の振り方について、決断力と行動力には自信がある私はシンガポールに残れる可能性を探りつつ、ニューヨークに拠点を戻す準備を始めました。毎春、自分のフレグランスビジネスの活動の一環としてニューヨークへ戻っていますが、今回は拠点を戻すため、アパートやお仕事探しでした。が、一度、ニューヨークに戻ったら、実家に訪れる以外アジアに行くことはないのではないかと後ろ髪も引かれる感情に悩まされます。シンガポールへの思い入れはあまりないのですが、アジアの拠点としては最高の立地です。 「ニューヨークは待てる」と感じた5月後半、自分のビジネスだけでシンガポールでやっていける方法はないかと考え出します。と、同時に動き始めます。そんな時、この病名不明な体調不良に襲われます。 退職後には感じなかった自信喪失が、体調不良と伴に後を追ってやってきました。この短い間で、自分の気持ちがコロコロ変わり、自分に迷いがあり、優柔不断のような気がして自己嫌悪。さらに、恐らく生まれて初めて自分のしたいことがわからないという状況に陥り、身動きできなくなってしまった。自分のしたいことがわからないけど、なんとかしなくちゃならなくて。 よくうつ病の患者さんが対人恐怖症になる傾向があると聞きますが、ソーシャルライフは必要最小限。ソーシャルメディアもカット。今ならなんとなく、わかるなぁ。 そんな中、ニューヨークのBestieの一言で、なぜ私がシンガポールへ引っ越したか再確認。それがその時、私にできるベストだったことを。 そう、今回の私の選択肢の中には日本はなかったのです。というか、日本を選択肢に入れることに躊躇があって。母が病気の時、移れなかった日本に、なぜ今更? これが今回、直面すべきお題で。乗り越えなければならない感情。つまり、I hadn’t moved on yet. もっと柔軟に、私には日本で暮らす権利もあるのだから。幸運にも選択肢がいっぱいあって、日本もその中に入れてもいいんだと。 体調と感情が回復するまで約一ヶ月。お腹に三つの穴まで開けた急性盲腸炎からの回復は2週間だったのにね。回復後からシンガポール出発まであと2週間。加速します。 今まで味わったことのない、なが〜い、なが〜い、辛い一ヶ月でした。              

香港。

今回の移動距離:3,646マイル =  5,774キロ 香りのイベントの助っ人で行ってまいりました。香港は3回目。1度目は中国に返還される前の1995年(?)九龍島、2度目はシンガポールー羽田の経由で半日滞在。今回はイベントも香港島だったので、こちらに滞在し、香港島を堪能。 早朝4時に日本から到着。空港のラウンジで少し休憩してから、市内へ。宿泊際に荷物を置いた後、今回のイベントのホストに道端で偶然出会う。一緒に有名店蓮香樓にて飲茶して、ミッドレベルエスカレーターに乗りながら少し観光して解散。 私には幾つか達成したい目的があって、この後、ディナーまで香港島と九龍島を動きまくります。 どこの街でもフレグランスのブティックはチェックします。香港にはParfumerie Tresorというフランスのニッチブランドを中心に25のブランドを扱うブティックがあります。家族経営でオーナーのベンジャミンさんにお話を伺うことができました。こちらの詳細は「香りのトラベラーProject Felicia」で。 次は、もちろん足マッサージ。一番最初に行きたかったところですが、出かける時はオープン時間前で、飲茶の後はお客さんで溢れていて、ブティックに行く前に予約。香港ではチェーン店の古法足道へ。 予定より長引いてしまったが、次に九龍島へ移動。もし日本で印鑑証明のいる大きなお買い物をする時にと思い、風水の街香港で運気を上げる判子を。『すべてを見通す眼』と言われるタイガーアイというパワーストーンで作りました。 翌日は香りのイベント。ブリーフィングのある夕方までゆっくり過ごします。まずはスパでファイシャル。最後にファイシャルしたのは数ヶ月前のイスタンブールではないかなぁ。ランチでは、香港在住の友人とキャッチアップ。ニューヨークぶりだから約6−7年ぶりかなぁ。 イベントはホストのパソナリティがよく伝わるカジュアルな雰囲気で、ゲストの驚く顔や香りを吸い込んでいる顔が印象的でした。フレグランス業界にいないのに香料の名前を当てられる嗅覚の鋭い調香師ポーテンシャルゲストもチラホラいて、私もビックリ。 二日目の終わりも、また足マッサージ至福の時間。更に最後のお客さんだったのでかなり値切れました。 翌日、出発まで丸一日あるので、ちょっと遠出して大嶼(Lantau)島へ。世界一大きな大仏さまが祀られているとか。とその前に腹ごしらえ。これまたお粥で有名店の生記粥品專家へ。シンガポールではよく食べていたピータンが入ったお粥。美味しかったぁ。大嶼島は市内から30分強、空港に近くスーツケースを持って来ればよかったかも。大仏さまに会うには、また30分程度ロープウェイに乗り、更に220段の階段を登ります。28ー30段毎に休憩。カーディオが弱い上、3月にヨガをやめて以来、一切運動をしていないバチが。大仏さまは大きかったのですが、あまり圧倒はされなかった。でも、なんであんなところに世界一大きな大仏さまがいるのか。 一旦、香港島に戻り、空港に出発する前にまた足マッサージ。 本来の目的、香りのイベントでは、今までとは違う角度で消費者の目線を勉強できる有意義な機会でした。感謝。 今回は久しぶりに往復レッドアイで、やはり年齢的にキツイ。 ただいまの人生移動距離:716,217マイル = 1,120,527 キロ(フライト距離のみ)  

シンガポール、ローカルライフ。

ほぼローカル採用ですが、外国人はみんなエクスパット(駐在)と呼ばれています。よって、お付き合うする方々も結構エクスパットまたはエクスパットだった人だったりします。同僚の中にはローカルさんもいますが、ご家族がいらっしゃったり、ご自身のサークルがあるので、なかなかプライベートでご一緒することが難しいなぁと感じたのは私だけでしょうか。 お仕事で関わるローカルさんも、学歴レベルやお給料レベルが同等だったりするので、真のローカルさんとお付き合いする機会はなかなかなかったところ、シンガポール生活最後の一ヶ月で二度もHDBに泊まる貴重な体験をすることになり、真のローカルの生活を垣間見ることができた気がしました。 HDBとはHousing Development Boardのことで、シンガポール政府の住宅購入支援補助制度のようなものです。 日本だったら団地かなぁ。ビルの集合体の一階には生活に必要なお店や簡単なスーパー、食堂っぽいレストラン「Hawker Centre」が入っていて、場所によってはクリニックなんかもあり、とても便利にできています。昼間にUncle(おじいちゃん)たちがたむろっている姿も見受けられます。コミュニティーです。バスの路線も必ずHDBに停まるようにようにルートを考えているようです。 購入できるのはシンガポール市民か永住権保持者(今では市民だけかもしれません)で、コンドミニアムよりも安く、家賃もお安い物件です。同じロケーション、間取りで、お家賃だったらコンドよりS$1000位お安いなんてことも。 もともと、コンドミニアムより質素だったようですが、今ではコンドに負けないくらい素敵なジム、プール、テニスコートなどが併設されているHDBもあり、有名どころでTanjong PagarのPinnacleなんて、入居するのに結構の倍率だと聞いています。 私のHDB体験は、7月に移った一軒家の家の鍵を持って出かけるのを忘れ締め出されてしまった夜、友人にすぐ連絡してお邪魔しました。 彼女はビジネスをいくつも経営している女性ボス。勝手にすっごいコンドに住んでいると思い込んでいたら、もらったアドレスに到着した集合住宅HDBでした。3LDKには彼女、お嬢さん、ご両親、お手伝いさん2名の6名が暮らしていて、手狭でした。 二度目は、4月に病室で知り合ったルームメイトの結婚式に前夜、翌日の結婚式は早く(朝7時)からアクテビティがあるとのことで泊めてもらいました。こちらも3LDK、ご両親、彼女、以前は弟さんが暮らしていたそうです。マスタールームにもバスタブはなく、コンドと比較するとかなり狭いかな。 両方とも20年以上前に日本で見たことがあったような古めの給湯器があって、かなり古い建物のようです。 ローカルさんのコンドにお邪魔したこともそんなになかったですが、エクスパットと呼ばれている方々のお家と比べると質素、節約かと感じました。これがローカルライフなのかもですね。    

Singlish「シングリッシュ」。

Ok-lah(オーケーラー )って聞いたことあるかもしれません。これ、シンガポールの英語です。シングリッシュと呼ばれます。 言い回しやイントネーション、発音が独特にがシングリッシュ、私をとても不安にさせました。アレルギー症状すら感じてしまった。 表現される英語の方言のようなものです。多民族国家のシンガポールらしいのですが、タミール語、北京語、広東語、マレー語、福建語、そして英語が混ざった表現。文法を無視した超短縮表現が多いです。     シンガポールに移って1年経った頃、別の日記ブログ(続かなかったが)でシングリッシュについて書きました(下記参照)が、この     最初の3ヶ月、ローカルのチームの言っていること(使用しているアクセント)が分からず、なんども聞き直しました。人生の半分近くを英語圏で過ごしてきたのに、英語の分からない人のような扱いをされてしまった(汗)もう新たな言語を学ぶ努力はしたくないので(日本語・英語以外で今まで勉強した4言語もままならないのに)、敢えて英語圏を選んだのに。なぜこのような思いをさせられるのだろうか? ちなみにアメリカにいる時は耳障りだったインド訛りの英語がわかりやすく感じました。(笑) 英語圏の国とはいえども、教育レベルによるのかも。移民なのかもなどなど。理由を探していたり。私たち「外国人」と話す時は流暢なイギリス国またはアメリカ英語を、ご家族と話す時はシングリッシュを使い分けているローカルの友人も多くいました。環境なんだろうな。 シンガポールに10年も暮らしていたアメリカ出身の友人は、生活の軸がアメリカ社会だったようで、カフェなどへ一緒にいくと、アクセントが理解できず、いつも私が通訳をしていました(笑) シンガポールおよび近隣国で生み出され、使用される単語もあります。例えば、「ANG MO」が白人。中国語で紅毛を意味します。が、私には「Can」がショック。 私:「Do you have time?」(お時間ありますか?) 部下:「Can.」。(できます。)??? 犬でもないのに、なにを「Can Can」泣いているのかと。これが「Yes」の代わりだと理解するまでに数ヶ月。その他「KIASU」はシンガポール生活最後の方でやっと理解できました。 他にもシングリッシュの特徴として文法を無視した超短縮表現があります。同じ「どこへ行きますか?」 「Where do you go?」が「You go where?」 もう一つ。 「I don’t need it!」が「No need!」(いりません!) こちらは中国語の「不要」から来ています。 他にもタクシーで、「Could you please take us to Marina Bay Sands?」だと通じないですが、タクシーに乗るなり「Marina Bay Sands」で走り出します。 最後にものの考え方が言語、表現方法に影響を与えている。先にあげた超短縮表現ですが、こちらがYes/Noで質問しているのに、YesやNoに到達するまで延々と。2分で終わる会話が7分に。シンガポールの引っ越す前にアメリカ人の上司に忠告を受けたのですが、「Thought Process」(考え方)が異なるようです。アジア的考え方って言うのでしょうか。日本語でも先に理由を述べて結論を述べることが多いと思うのですが、それに似た印象を受けました。ただ、シンガポール人の実用的な性格上、そうでないことも多々あり、超直球のときもあります。 イギリスの植民地化で基本的にイギリス英語で話され、描かれるのですが、なぜかアメリカ英語の時もあり、いつも驚かせられます。 シングリッシュは複雑ですが、下記を踏まえておくと心構えができ、そうなんだぁっと流せます。 1)アクセント 2)独特の単語表現 3)考え方 未だにアクセントは心地よいとはなりませんが、これをマスターして、時々使用するとローカルさんとの距離がググッと縮まります。…

シンガポール🇸🇬より暑い日本🇯🇵は風流。

日本に来て一ヶ月が経ちました。ようやく朝晩は涼しくなってきましたが、日中の暑さといったら。 ガイドブックによると、通年夏のシンガポールの平均気温・湿度と東京の8月のそれはほぼ同じそうです。ですが、体感からすると赤道直下のシンガポールのより、東京の方が気温、湿度共、上ではないでしょうか。 昔から、東京は高層ビルとアスファルトでコンクリートジャングルと言われており、ヒートアイランド現象。建物が密集しておりため風通しも悪く、風が吹けばフェーン現象の熱風。更に、エアコン全開。これが、また熱を発生するから、負のスパイラル現象です。 なので、省エネを掲げエアコンは確か26度設定。現在では28度かもしれません。シンガポールでは20度とかひどいところでは16度設定だったので、オフィスでは冬のジャケットを置いている同僚もいましたし、スーパーやデパートでは上着を持って出かけました。エアコン全開なので、体が冷えるので温かい飲み物をオーダーする方も多々。 話はそれますが、日本ではレストランで無料でお水を出してくれます。冬になると温かいお茶を出してくれるところもありますよね。なので、夏には冷たいお茶、麦茶かな(?)を出してくれます。気の利いた「おもてなし」なのでしょうが、エアコンが聞いているので、温かいお茶が欲しい時もあります。温かいお茶をお願いすれば持ってきてくれるところがほとんどで、用意していないところはわざわざ作ってくれます。が、一言聞いてくれると嬉しいです。そうすれば、自動的に冷たいお茶を持ってきてくれるウエイターの手間を省けるしね。 東京から車で二時間離れた実家におり、東京より少〜し状況はましですが、昼間に出かけるのは無理、エアコン無しでは夜の寝苦しさは過酷です。シンガポールでは、窓全開でエアコン無しでも眠れました。 日本で8月のひと月を過ごすと、本日の最高気温は35−37度ですは聞き慣れました。あるラジオのDJが、毎年最高記録が更新されると。。。と明るく笑っていました。危機感ないのでしょうか。(失笑) 負のスパイラル状態の日本、せめて清涼でもとディスプレイなどでの工夫もあり、偶然行った日本橋では清涼祭りで「金魚」のモチーフが町中を飾っていました。趣ありますね。 夏の暑さに追い討ちをかけるのが、蝉の鳴き声です。ミンミンゼミっていうんですか、必要以上に暑さを感じさせます。で、ツクツクボウシで秋の到来を感じる。五感で暑さも涼しさも演出するなんて風流ですね。